9月26日 江戸の妖怪革命
こないだのブログでお話した、「新妖怪談義」で1冊の本が強く推薦されていたので、昨日購入。
積読の本があるのにまだ買うか、と
呆れながらゲット。しかし、読みやすい文章とあまりに
面白く明快なトピックと論旨なので一気に読みました。
あちこちの新聞でも話題になった本なのでご存知かもしれませんが、
その本は『江戸の妖怪革命』香川雅信著 河出書房新社 です。
僕よりもひとつ年下の気鋭の学者の方の手による本なんですが
いかにして「妖怪」がキャラクター化されていったかを
実に面白い資料を縦横に用いながら明快に語ってくださっています。そもそも、「妖怪」なるものはキャラクターというか命名、形象化されざる一種の「体験」であった。怪異として存在していた。
不可解で不気味な現象はしかしそのままではおき去ることは難しく
それに名前をつけて一応の説明とした。狐つきなどはその例です。
狐つきの現象は説明できても、取り付く狐は本来、どんなものかは説明する必要もないものだった。お稲荷さんのキツネのようなかたちに形象化されるのはずっと後のことなんですって。
僕の言葉に翻案すればそれは純粋に元型的体験であったわけです。しかし、今度は説明のための概念が形象化され、さらには収集されて独自の世界を構築し始めます。妖怪がまるで昆虫のように集められて分類されてゆく。江戸時代にはそうした、フィクショナルな妖怪の世界を純粋に楽しむことが行われ始めた。妖怪図鑑のようなものが江戸にはあり、完全に文学作品としての「怪談」が現れる。
ポケモンのような妖怪図鑑にお化け屋敷としての文芸の出現、というところでしょうか。
ところが今度は近代になって人間の「内面」にコントロール不可能な不気味なものが発見されはじめ、霊的なものと地続きな「私」が登場する。外の世界にいた妖怪は完全にフィクションと認知され、茶化される対象になったのに、今度は妖怪的なもの、あるいは聖なるものが「内面」に発見されるようになっていったのが現代だと著者は分析します。
霊感者の登場や前世への期待などなどがそう。超能力信仰がそう。「こころの時代」の功罪ですね。
(朝方、寝ぼけながらこの要約をかいているので
そうとう乱暴に圧縮しています。わかりにくいのは僕のせい。ぜひ原著を読んでくださいまし)
心理占星術や深層心理学そのものは、こうした「内面の妖怪化」に
寄与してきた経緯は確かにあるでしょう。
しかし、それを単なる自分の肥大だと認めるつもりは、僕にはありません。すでに僕たちは心の中身が大事だと思うアイデンテイテイを獲得してほとんどの人がそれを生きているわけですから、それをどんなふうに生きていくか、ということが問題なんだと思います。
しかし、実に面白く、示唆に富む本でした。興奮してあっという間によんでしまいました。
ぜひみなさんもチェックしてください。
















