10月20日 星を読むとき、そこに読み手が現れる
ホロスコープを読むのは、怖い。
それは、未来のことがわかりすぎてしまうから、とか相手に影響を与えてしまうから、
ではない。むしろ、ホロスコープを読むと、相手に自分のことがわかってしまうから、なのだ。
どんな占い師や心理学者でもいいけれど、実は星や夢を解釈するときに
映し出されてくるのは、相手のことだけではなく、実は自分自身の価値観やら心理の構えなのだ。
思い出すのは、あるプロ向けのセミナーでのこと。
こんな質問が、プロで鑑定されている人から出た。
「鏡さんは、星占いの記事で、牡牛座の人は転職もいいかもしれない、とおっしゃっていましたがなぜですか?」
当時、変化の天王星が牡牛座から見て第10ハウス(仕事のハウス)を通過していた。
これは「仕事の変化」を象徴するものと読めるので、僕はそう考えたのだ。
「天王星のせいですか。でも、天王星は凶星でしょう。しかも天王星は牡牛座には90度の
凶角となりますよね。これは転職は悪いのではありませんか」
その占い師の方はそうおっしゃったのだ。
この質問に僕は驚いた。
この年では木星や土星が調和的な配置にやってくる、あるいは土星が牡牛座を抜けるといった別なファクターはあるにはあった。占星術はそんなに単純なものではない。
実際の出生チャートを用いる占星術では、もっともっと別な要素もあるし、
技術的なことでその方を論破することはできたかもしれない。
しかし、僕はこのとき言葉を失ってしまったのだった。少し恥ずかしくて。罪悪感も感じて。
本質的なシンボリズムを考えたときには、結局、問題は
「第10ハウス(仕事)にたいしての天王星(変化)」をどんなふうに読むか、あるいは感じるか、ということにかかってくる。
どんなに複雑な技法を用いたとしても、結局、ホロスコープの読みは、つまるところ
星と星との組み合わせのシンボリズムをどう感じるかにかかっている。
僕は仕事の上でのブレークスルーや革新というのは、何か新しい独立心を
はぐくみ、より自由な世界へのステップになりうるととっさに考えたのだが、しかし、そのプロの方は、現実の世界の厳しさもきちんと把握されていたのだろう。
どこかで僕は、単純に楽観的に星を読みすぎていたのかもしれない。
きままな一人暮らしをしている数年前の自分の世界観が期せずしてそこに出ていたのだ。
天王星は、神話的なイメージでいえば、神々の世界から火を盗み、人類に文明を与えたが、その結果、罰として岸壁に縛られ、死ぬことも許されず永遠に猛禽に内臓を
ついばまれるという運命を担わされたプロメテウスのイメージ(元型)であると、
アメリカの哲学者にして占星術家のリック・タルナスはいう。
既存の枠を飛び出し、乗り越えていく冒険につきまという危険ももちろんあるわけだ。
保守的になりすぎることも、冒険しすぎることも、問題をはらんでいる。その星のシンボリズムをどんなふうに生きるかは、その人にかかっている。どちらが正しい、とはいえないのである。
あるシンボリズムを、どんなふうに読むか。そこには自然に、占い手自身の価値観が現れてくる。
それ自体は悪いことではないし、避けられることでもない。
ほんの2,3行の星占いの文章のなかに、あるいは90分のみっちりしたカウンセリングのなかに、メッセージの発信者の裸がさらけだされてしまう。
人を見る目があるクライアントや読者なら、「ああ、この人の世界観はこんなかんじなんだな」と占い手のことを逆に読み取ることは難しくない。これは避けては通れない。
価値観が社会のなかで一元的だった時代なら、そんな怖さはなかったと思うけれど。
だからこそ、なるべくさまざまな価値観をのぞきたいなと思うし、それができれば、
もっと面白い星の言葉の解釈をお届けできるようになれるのに、と思うのだ。
と、僕の魚座に天王星が通過するのを感じながら、今日は気取ってかいちゃいました。
いつもこんなにシリアスに考えているわけはないんですけどね。
Posted by 鏡リュウジ 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク
















