10月10日 複雑な心境
秋晴れの日。でもあわただしく毎日が過ぎています。
取材や収録が続いて。
そんななか土曜日の夜は友人とゆっくりとシングルモルトなど、味わうことができてよかったのですが。
ところで宮台真司先生、香山リカ先生と立て続けに対談でした。
いずれも昨今のスピリチュアルだとか精神世界ブームについて、というもの。
香山リカ先生から僕にはショッキングなことを聞かされました。
香山先生が教鞭をとっておられる大学の生徒たちに、「オーラがあると思うか」とか「水にありがとうというと、水の結晶がきれいな形になると思うか」といった質問をすると、過半数の生徒たち(というか大多数)が、イエスと即答するのだそう。
もちろん、僕も占いなんぞをやっていますから、いわゆる「オカルト」的世界にたいして肯定的であるのは当然です。また経験上、占星術が当たる(ないしそのように強く感じられる)のも事実として知っています。
また、京都育ちの僕は伝統的共同体のなかで祖霊信仰が重要な意味をもっているということもきちんと知っています。
けれど、同時に科学的な世界観の重要性や批判精神の大切さも知っているつもりで、だからこそ常識的、合目的合理主義がもたらす閉塞感にたいしての一種の解毒剤としてのオカルト的世界観の有効性を感じてきたし、さらには自分のなかにあるこの二つの世界観の葛藤に苦しめられたり、あるいは楽しませてもらったりしてきました。
占いをするということにたいしての一種の後ろめたさと、その後ろめたさがもたらす快感(社会にたいして斜にかまえられるということですから)が、僕たちの世代までの神秘思想愛好家にとっての隠された動機づけになっていたと思うのですが、最近はかなり構造がかわってきているのにびっくりしました。
そういえば、最近、「占い師になりたい」「セラピストになりたい」という若い人たちのなかには、あんまり葛藤を感じられないなあ。
あるいは年上の世代の人でも、すっとユング的世界にはまっている。
まあ、霊が存在するというのは人間にとって素朴な感覚だと思うので、それをてらいもなく肯定できるというのは、人間が正直になったということなのかもしれませんが、しかし、なんだか複雑。
70年代、80年代の占星術家たちは(欧米の)科学者から、あるいは宗教者からコテンパンに、そうほとんど完膚なきまでに論破されるという経験をしています。「頭の固い科学信仰者たち」というふうに相手をみなすことで逃避したり、「彼らとは関係がない」と否認する
人たちが多数派だったとは言え、心ある占星術研究家たちは、そのなかで苦しみながら今にいたる活動をしています。それが今の礎になっています。
下手をすると、真剣な占星術家がかえって科学教育の大切さを訴えかけなければならないという奇妙に転倒した状況が生まれているのかもしれません。
やっぱり複雑だ。。。
Posted by 鏡リュウジ | 固定リンク
















