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December 27, 2006

12月27日 「運命の世界展」開催!新春プレゼントです。

新春5日から新宿コニカミノルタ・プラザで
「運命の世界展」を開催します。
これは、池袋サンシャインのプラネタリウム「満天」での
プログラムと連動した企画。
満天でのプログラムの一部が体験できるほか、
コンピュータによる占星術を楽しめたり
星のアロマを体験できたりするコーナーも。

図版でめぐる占星術の歴史パネル展、
またうちのコレクション(ウイリアム・リリーの著書のオリジナルほか)を
ごらんいただけます。
9日のトークショーの応募はすでに終わっていますが
5日のオープニングのときには僕も顔を出そうと思っています。
占いファンのみなさん、足を運んでくださるとうれしいです。
詳しくはこちら。


http://shinjuku.keizai.biz/headline/115/index.html

Posted by 鏡リュウジ   |

December 27, 2006

12月27日 よいお年を

このブログをごらんになっているみなさん、
ありがとうございます。
今年もいろいろなことがあり、
飛ぶようにすぎていった1年でありました。
みなさんにとって06年はいかがだったでしょうか。

本当によいお年をお迎えください。
そして、僕もまたがんばっていきますので
来年も応援よろしくお願い申し上げます。

みなさんに、たくさんの星の祝福がとどきますように!!

Posted by 鏡リュウジ   |

December 18, 2006

12月18日 金子勝先生のお話を伺う

今日は、某男性週刊誌のための対談。
男性週刊誌としては珍しく、大きな規模で「星占い」の記事を組むことになりました。
男性は占い記事には慣れていないということもあり「わかりやすく」やってほしいという編集側のリクエストがあったのですが仕事運がいいとか悪いといった話だけだとせっかくページ数をいただけるのにつまらない、だれか意外で面白い、読者が共感できるような方とお会いできないだろうか、と編集部の方にご相談。そうしたら、経済学の金子勝先生をセッテイングしてくださいました。

占いなどという非合理的な話なんかと一蹴されるかとびびりながら出向こうとしたのですが…はっと気がついて書棚から取り出したのが岩波新書から出ている『逆システム学』という本。やはりそうだ。この本、金子先生のご著書だった!!
生物学者の児玉龍彦氏と共著のこの本は、市場と生命のしくみを重ね合わせながら、部分の要素と全体の系との間の関係を考え直そうとする大胆で面白い本です。
この本は刊行されてすぐに興奮しながら読んだことがあったのですが、失礼ながら、テレビで拝見していた金子先生と著者名が重なっていなかったのです。

経済の動き、生命の動き、そして気象の動きなどを同じパラダイムで記述可能にする説く大胆な射程をもつ学問はすでに存在しています。
ひところから話題になった「複雑系の科学」やそのルーツとなるカオス理論がそれです。
金子先生や児玉先生によるこの本では、複雑系の科学でもうまく説明されていないと(著者たちはそう主張する)、個々の要素と全体との間の「多重フィードバック」のしくみを分析対象にするといいます。

数学に弱い僕にこの本がきちんと理解できているかどうかは自信ありませんが、生命と市場のうごきが重ね合わせて説明しようとするこの本にはすごく興奮させられていたのです。

そもそも、個々の要素にいろいろなものを分解していくことで全体を解明しようとする「要素還元論」はこれまでの科学で強力な武器でしたが、そのやりかたでは気象や生命、意識、社会、経済といった複雑な現象を説明することは難しい様子。

かといってシステムこそが個々の要素を理解することが必要とする全体論はあまりにも扱う対象が複雑になってしまう。個を理解するには全体を理解しなければならないけれど、全体を理解するには個を理解するほかない、というジレンマに陥ってしまうわけです。さらには、自然界の現象とちがって人間の場合にはフィードバックシステムに、故意に介入することが可能でそのことがさらに事態を複雑にしている。しかし、だからこそ救いもある。システムを維持するために効果的な介入の道筋を、このモデルなら考えることもできるのではないか、ということでしょう。

僕の浅い理解では、金子先生がかねてから提唱されている「セーフテイネット」も、このモデルから出てくるのだと思う。

この本では、抽象的な理論ばかりではなく、出てくる事例も面白い。
たとえば。
「逆説的だが、資本主義市場経済の初期ほど、家族や共同体を不可欠の前提としていた。それらが失業者や働けなくなった高齢者たちのプールの機能を果たしていたからである。1980年代に、市場原理主義的な考え方に基づいて民営化や規制緩和政策を大きく進めたイギリスのサッチャー首相が、同時に『ヴィクトリア時代の美徳に返れ』と主張したことは象徴的である。逆を言えば、市場が家族や共同体を解体していけばいくほど、市場はより複雑な調節制御のしくみを必要とするようになる」(同書67ページ)
なんて。

これって、今の日本の状況となんとなくだぶって見えませんか?
規制緩和が進んできた状況と、家族価値、共同体価値を再評価しようとする道徳的メッセージをはらんだ「スピリチュアル」なものが喧伝されるようになったことのシンクロを僕はここに幻視してしまうのです。

こういう刺激的な本を書いておられる方とお話できると思うと、急にワクワクしはじめて、対談場所のホテルへと赴いたのでした。
はたせるかな、話は盛り上がってお約束した二時間があっという間にすぎ。
掲載されたらまたご報告しますね。

それにしても、占い的な世界観のベースにあるのは目的論的思考。ユングの元型ー個性化モデルやゲーテの形態論、古くはプラトニズムといった系譜に連なる世界観です。
それにたいして複雑系、進化論といった世界モデルは(「自己組織化」などという用語を使っていたとしても)、非・目的論的世界です。
世界の理解としては両者はまったく異なります。
自分が依拠している世界観とはまったくことなる世界観やモデルを読むというのは混乱させられるけれども、刺激的。
木星が射手座の今、この本、面白いからぜひ読んでみて。対談も楽しみにしていてくださいね。
もちろん、星占い部分も。

そうそう、あと掲載誌。
マガジンハウスBOAOでは特別別冊。
婦人画報では四十代以上向けの占星術。
HANAKOではラブ・ボルテージとフランス人占星術家との対談、そしてうちのコレクションの一部をお披露目。

VOUGUEではスーザン・ミラー氏との競演ですし、もうすぐ発売のVOCEでは東洋占星術のプリンス、昇龍さんと対談をしています。

あちこちの雑誌でやっていますからぜひごらんくださいね。

Posted by 鏡リュウジ   |

December 18, 2006

12月16日 射手座-木星・冥王星と改正教育基本法

12月初旬から射手座に次々に惑星が集合していた。
射手座が象徴するのは、宗教、教育、理念。そのことと呼応するかのように「改正」教育基本法が成立した。
政治的なことにかんしては、発言するタイプではないと自認しているのだけれど、木星と冥王星が接近していくこのタイミングでの教育基本法の「改正」に感じる気持ち悪さと不安を隠すことができないので、書いてしまおう。

射手座に集合する天体は、確かに教育や理念についての大きな見直しのタイミングだと告げているけれども、しかし、それが今回のような法律でいいのか。
お上が人の「心」に介入してもいいのだろうか。

ここで思い出されるのは、占星術などをやっている僕にとってはやはり古い社会のことだ。
歴史を振り返ってみると、ヨーロッパの封建社会においては聖俗の二元支配体制が存在していた。
王の権力は俗世間を支配する。しかし、魂の領域は教会が司っていたのだ。
教会と王との確執は「叙任権闘争」というかたちで表面化してゆくことになるけれども、魂の問題については政治的権力は介入しないというモデルの萌芽があったのではないかと
感じてしまう。
身分制によって支えられていた封建社会がいいなどというつもりはまったくないけれど、
愛や心といった目には見えることができないものを俗権力が制度的に指導、教育しようというのはまずいのではないかという伝統が存在するということが興味深い。

話が脱線しつづけるけれど、そのことを感じさせたエピソードがある。
「心が大事」だから「心を扱う占星術がいい」と日本でいうとまったく何の違和感もないように感じられるけれども、実はヨーロッパの伝統からいうと、単純にそうともいいきれないのだ。

イギリスである保守的な占星術の大家(すでに故人だけれど)に、こう批判されてたじろいだことが今でも忘れられない。
「君たちはユングなどを持ち出してサイコロジカル(心理/魂的)占星術などというけれど、
心や魂は本来、神に仕える聖職者が扱うべきものではないか。そこに介入するのはどうなのか」。

精神分析の伝統が教会の告解制度からきていることは精神分析史をかじった人間には自明のことなのであるが、かの占星術の大家からみると心理療法などはフェイクの聖職者のように見えたのかもしれない。
神学者トマス・アクイナスが天体は肉体には影響を及ぼすが魂には影響しない、魂は自由であると理屈をつけて占星術をしぶしぶみとめたときのロジックも、このあたりと関連しているといえるだろう。
もちろん、宗教というドグマに心を任せても同じように危ないではないか、という反論は
当然、近代の視点からは成り立つ。しかし、このときに僕が衝撃を感じたのはことほどさように、「心」や「魂」が聖域であり、かつそれが俗的権力とは切り分けておくべきだという思想的伝統が息づいていて、それが占星術というサブカルチャーのなかでも論じられている、ということなのだ。

いずれにしても、制度や法律は、個人や社会のためにつくられるものである。
靴のサイズは、一人一人に合わせて選ぶべきであって、靴のサイズに合わせて足を切ったり引き伸ばすなどという愚が行われてはならない。
自分の国を愛することはもちろん大切なのだろうけれど、それが平坦で画一的な指導にならないように強く祈りたい。

射手座の木星と冥王星は、わかりやすい号令などではなく、理念の深化を象徴するのだから。

Posted by 鏡リュウジ   |

December 14, 2006

12月12日 火のエレメントの理解

占星術の基本的な要素のなかで、案外理解されていないのは火のエレメントだと思う。

星占いファンなら、誰でも12の星座は火・地・風・水の4つのエレメントに分類されることは知っている。古代ギリシャの自然学にさかのぼる考え方によれば、この世界の森羅万象はさきの四大の混交、分離によって営まれている。中世からルネサンスにおいて西洋の医学を支配した体液ー体質論や現代のユング心理学における4つの性格分類にいたるまでこの思考は生き続けている。バシュラールの想像力論をここで思い出す人もいよう。

ただ、占星術のレベルで考えると、火のエレメントはきわめて単純な理解だけでとどまっているのが残念。
通俗的な星占いの本だと、火は「情熱的」で「衝動的」といったシンプルな解説で終わってしまっているからだ。
けれど、これではあまりにも皮相すぎる。
古い星占いの入門書をあけると、火のエレメントは「精神」を象徴するとある。たとえば昭和57年に出た、子供向けの占星術入門書『星占い ホロスコープ入門』(ルル・ラブア著)をみると「火は精神を表し、神聖なものの象徴です。物事を創造、破壊する力を表します」などとある。
情熱的で荒々しい火が高邁な精神に対応する、というのは普通に考えるとよくわからない。僕も子ども時代に占星術を学び始めたころにはまったくこの対応の意味が理解できなかった。
心理占星術では、火は直観機能に対応するとされているが、以前、生半可な占星術家が「火と直観が対応するのはおかしい。感情的な火の星座は感情タイプであるはずで、霊感に満ちた水の星座こそ直観なのだ」などといっているのを聞いたことがあるが、日本語の響きだけで考えるとこうした誤解も仕方ないかもしれない。

ユングの体系と占星術との対応については異論もあるだろうけれど(ロバート・ハンドのエッセイなど参照)ヨーロッパにおいての光や火のシンボリズムに想いをはせれば火と直観機能の働きの親和性についての理解への道が開けるはず。

火は四つのエレメントのうちでもっとも希薄、そして上位に位置づけられていた。
感覚的な物質世界から離れれば離れるほど、真理に近づけるというプラトン的な世界の理解がここでは重要になる。
そして、火はもっとも抽象的な、イデアの世界に近いものとして理解される。
火-光は、五感によってくもらされた感覚的世界を照らし出すものなのだ。
だからこそ、地ー物質ー肉体にたいして火ー精神ー直観という心理占星術的シンボリズムが生きてくる。ここでの直観はいわゆる心霊主義的な霊感とはまったく関係がない。
もっともっと抽象的な原理を理解する能力のことなのだ。

たとえば「線」とはなんだろうか。線とは長さはあっても幅はないもの、と定義されるわけだがこの感覚世界のなかには線など存在しない。目に見える線にはすべからく幅があるからだ。
線とはまったく抽象の世界にしかない。これは「直観」的に理解するほかはないとヨーロッパのプラトンの末裔たちはいうだろう。
これには「50パーセントわかった」とか「だいたいわかった」いう言い方はできない。また
五感の世界には線は存在しないのだから、経験をいくらつんでもムダ。
ある瞬間にぱっとわかる、これしかない。そう、突如、暗闇のなかに光が指すように。
ルネサンスのフィチーノはこういう。
「要するにこのように影響を受けた精神のなかで、いわば人間的愛のように徐々にではなく、突然に、真理の光がともるのである。しかし、いったいどこからであろうか。火花を放ちつつ飛び掛ってくる火、すなわち神からである。火花というのは、すなわちイデアのことであり、……そしてまたわれわれのうちに刻まれたイデアの刻印のことである」
(E.パノフスキー『イデア』伊藤博明ほか訳 平凡社ライブラリーから孫引き)

暗い世界をぱっと照らす光。これが火の要素のひとつの側面だ。
このようなイデアの刻印を「想起」することは限りない喜びであろうし、それがモチベーションにつながる。

とはいえ、この自然を構成する要素のひとつとしての火(水平的にイメージされた火)はあくまでも感覚世界のなかに存在している。ここでいっているのは垂直的にイメージされた場合のものだというべきかもしれないけれど。

こういうふうにイメージしてくると、火のエレメントのもつ奥深さ(というよりも崇高さ)が
見えてくるのではないだろうか。
こういうふうにイメージしたときに、あなたの隣の火のエレメントの生まれの人の行動はどんなふうに見えてくるだろう。
こんなふうに占星術のシンボリズムを考え直してみるのもまた楽しいかもしれない。
今日はひさびさに、心理占星術本来の手法で妄想を膨らませてみた。

Posted by 鏡リュウジ   |

December 08, 2006

12月7日 デカダンの香りただよう「アスタルテ書房」

ここ数日、また関西で過ごしました。
FM802の番組収録、また秋野暢子さん司会の、毎日放送の番組「みかさつかさ」の収録、そして講談社「関西一週間」の京都取材です。

そして!
この京都取材で、ずっと憧れだった「アスタルテ書房」を訪問。

この書店、幻想文学系が好きな人間にとってはなかば伝説的な場所。

かつて澁澤龍彦が愛したことで有名な古書店で、マンションの一室にぎっしりとデカダンの香りただよう本が並んでいます。澁澤はもちろん、種村季弘、生田耕作、金子國義、高橋睦朗ら一群の作家たちの初版本や署名本が棚から濃厚な香りを放っています。

日本のタロットブームはこの人たちから始まっていますし、澁澤の「黒魔術の手帳」がなければはたして日本の耽美的オカルトカルチャーは存在していたかどうか。
もちろん、僕は高校時代からこの書店の存在は知っていたのですが
なんとなく敷居が高くてこれまで訪れることができませんでした。

店長のSさんは、予想していたとおりすごく雰囲気のある方だったのですが、予想に反してとても気さくに対応してくださり、緊張していた僕もすっかりリラックスできました。
そのなかで桃源社、薔薇十字社が出していた本を手にすることができて興奮。あえてお名前は出しませんが、蓋を開けてみると店長と共通の知人がたくさんいたということがわかり、もっと早く訪れればよかったと思った次第。とはいえ、何事にも時期があるのでしょう。
きっと今が一番いいタイミングだったとではと思っています。

今日ここで買ったのは村松桂さんというアーチストの手による、写真構成のタロットブック。抽象度のきわめて高い作品で。限定200部の通しナンバーつきのものです。
僕のコレクションに貴重な品が加わりました。
Muramatu

あ、そうそう、イベント情報です。
この土曜日には仙台の丸善でサイン会を行います。
お近くの方はぜひいらしてくださいね。
告知が遅くなってごめんなさい。

http://www.sendai-aer.net/news/

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December 01, 2006

12月1日 体も動かさなくては

木星が射手座に入ったあと、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
僕は年末に向けてますます忙しくなっているんですが、射手座が象徴するように体も動かさなくてはと、ひさびさにプールに行きました。
いつも通っているジムはプールが狭く、とくにヘタッピな僕だと
周囲にも迷惑だしゆっくりと泳げないので、別のジムへビジターで。

ここはちゃんと25メートル。
レッスンに参加したり、1時間ちょっと、ゆったりゆったりと泳ぎました。
もともとヘタクソだし、2年以上泳いでなかったので思うように進まないのですが、やっぱり気持ちいいですね。

さて、昨日 一柳廣孝 編著 『オカルトの帝国』という本を発見して購入。1970年代にブームになったさまざまな「オカルト」の社会的背景を探るという興味深い論文集です。
70年代といえば、68年生まれの僕にとってはまさに「オカルト」の洗礼を受けているわけで、子供のころに吸っていたその空気を再認識させてもらっています。

おもえば、タロットと出会うのもこのころだし、コリン・ウイルソンの『オカルト』を背伸びして読んだのもこのころ。
エクソシスト、ノストラダムス、中岡俊哉の心霊写真、「恐怖新聞」、円盤とコンタクテイ、スプーン曲げ論争などなど、大衆文化のなかのオカルト現象のブームと背景を掘り起こしたこの本は、今の「スピリチュアル・ブーム」を再考する上でも重要だと感じています。

まあ、「なつかしーな」という感慨も僕には大きいですが。

怖がりでマセガキだった僕は、こういういわゆる「オカルト」にびびりながらも楽しむ一方で、そんなんちゃうやん、とユングに傾倒したり、雑誌「遊」のバックナンバーを取り寄せたり、81年に荒俣宏編で出た『世界神秘学事典』を枕元におくということになっていくわけですが、それにしても、いかにもキワものっぽいオカルトブームと僕のメンタリテイは明らかに地続きだったと思います。(恥ずかしいけど告白)

さくさく読める読みやすい本なので、僕と同世代のかつてのオカルトキッズ、そして今の「心」ブームに関心のある方は必読だと思います。

Posted by 鏡リュウジ   |