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December 18, 2006

12月16日 射手座-木星・冥王星と改正教育基本法

12月初旬から射手座に次々に惑星が集合していた。
射手座が象徴するのは、宗教、教育、理念。そのことと呼応するかのように「改正」教育基本法が成立した。
政治的なことにかんしては、発言するタイプではないと自認しているのだけれど、木星と冥王星が接近していくこのタイミングでの教育基本法の「改正」に感じる気持ち悪さと不安を隠すことができないので、書いてしまおう。

射手座に集合する天体は、確かに教育や理念についての大きな見直しのタイミングだと告げているけれども、しかし、それが今回のような法律でいいのか。
お上が人の「心」に介入してもいいのだろうか。

ここで思い出されるのは、占星術などをやっている僕にとってはやはり古い社会のことだ。
歴史を振り返ってみると、ヨーロッパの封建社会においては聖俗の二元支配体制が存在していた。
王の権力は俗世間を支配する。しかし、魂の領域は教会が司っていたのだ。
教会と王との確執は「叙任権闘争」というかたちで表面化してゆくことになるけれども、魂の問題については政治的権力は介入しないというモデルの萌芽があったのではないかと
感じてしまう。
身分制によって支えられていた封建社会がいいなどというつもりはまったくないけれど、
愛や心といった目には見えることができないものを俗権力が制度的に指導、教育しようというのはまずいのではないかという伝統が存在するということが興味深い。

話が脱線しつづけるけれど、そのことを感じさせたエピソードがある。
「心が大事」だから「心を扱う占星術がいい」と日本でいうとまったく何の違和感もないように感じられるけれども、実はヨーロッパの伝統からいうと、単純にそうともいいきれないのだ。

イギリスである保守的な占星術の大家(すでに故人だけれど)に、こう批判されてたじろいだことが今でも忘れられない。
「君たちはユングなどを持ち出してサイコロジカル(心理/魂的)占星術などというけれど、
心や魂は本来、神に仕える聖職者が扱うべきものではないか。そこに介入するのはどうなのか」。

精神分析の伝統が教会の告解制度からきていることは精神分析史をかじった人間には自明のことなのであるが、かの占星術の大家からみると心理療法などはフェイクの聖職者のように見えたのかもしれない。
神学者トマス・アクイナスが天体は肉体には影響を及ぼすが魂には影響しない、魂は自由であると理屈をつけて占星術をしぶしぶみとめたときのロジックも、このあたりと関連しているといえるだろう。
もちろん、宗教というドグマに心を任せても同じように危ないではないか、という反論は
当然、近代の視点からは成り立つ。しかし、このときに僕が衝撃を感じたのはことほどさように、「心」や「魂」が聖域であり、かつそれが俗的権力とは切り分けておくべきだという思想的伝統が息づいていて、それが占星術というサブカルチャーのなかでも論じられている、ということなのだ。

いずれにしても、制度や法律は、個人や社会のためにつくられるものである。
靴のサイズは、一人一人に合わせて選ぶべきであって、靴のサイズに合わせて足を切ったり引き伸ばすなどという愚が行われてはならない。
自分の国を愛することはもちろん大切なのだろうけれど、それが平坦で画一的な指導にならないように強く祈りたい。

射手座の木星と冥王星は、わかりやすい号令などではなく、理念の深化を象徴するのだから。

Posted by 鏡リュウジ   |