さてさて、リチャード・ドーキンスの話題の本
『神は妄想である 宗教との決別』(早川書房)から、
本題の「神は妄想である」についてです。
今日もまた長くなりそうだけど。
まだ読み始めたばかりなのですが、
ドーキンスのビッグファンのぼくは
(英米の占星術協会の友人たちよ、「敵」のファンでごめんなさい!)
仕事をそっちのけではまりかけています。
ドーキンスは神の存在、とりわけ西洋の歴史、そして近現代の
地球全体の歴史を突き動かしてきた「アブラハムの神」の存在、
つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神を
徹底して否定していきます。
学生時代にぼくが専攻したユングは、神の存在
そのものについては言及せず、ただその心理的経験にのみ
研究対象を絞るという戦略に出たわけですが、
20世紀半ばの欧米ではそれですら、神に対する冒涜だとか
現代によみがえったグノーシス的異端だのといった批判が
容赦なく加えられたことを考えれば、
ドーキンスのこの姿勢がいかに過激に見えるか、想像がつくでしょう。
(重箱の隅をつつくようだけれど、本書におけるドーキンスの
ユングについての言及については、いいたいことがいっぱいありますが。
ユングはけして素朴な意味での有神主義者ではありませんでした。)
ドーキンスは神の存在を「仮説」として、
それを論破することが可能だと主張します。
そして宗教という妄想に毒された世界から人々を解放しようと、
あらゆる方面から攻めていきます。
科学は物理現象を、宗教は心を扱う、だから互いに
領空侵犯しないなどといったオトナの穏健なスタイルは、
(牡羊座の)ドーキンスにはありません。
そんなスタイルは「卑怯者」と一蹴されてしまうかもしれません。
その論述の明晰さは比類なく、
ドーキンスご本人には申し訳ないけれど、占星術という
愛すべき妄想に染まったぼくには、牡羊座のもつ
勇気やするどい知性、正義感、そして明晰さと真理への
まっすぐな愛の最上の例を見るような思いで、
ほれぼれとしながらページをめくってしまうのです。
あわてていっておきますが、ぼくはドーキンスほど根性がないし、
自身も「信仰心」があるようで、信仰を持つ人のことを
否定するつもりはありません。
それどころか本当に尊敬することも多いのです。
ミャンマーの軍事的圧制にたいして立ち上がり、身を呈していま、
まさに戦っておられるのはかの国の仏教徒の方々です。
黒人の方々を開放するためにあの有名な演説を残したのは
マルチン・ルーサー・キングJr牧師でした。
いまの過激な原理主義的テロリストのおかげで
誤解されていることが残念ですが、いわゆる「暗黒の中世」
(こんな言葉を使う歴史家はいまやいないけれど)に
占星術や錬金術(つまりサイエンスです)を発展させたのは、
イスラームの人々でした。
占星術もまた、バビロニアの星辰神崇拝の残響と
ギリシャ世界の思弁的、数理的宇宙論との結合から
生まれたものだといってもいいでしょう。
しかし、戦争や魔女狩りや男女差別や同性愛嫌悪、
医学的治療の拒否など、
数え切れないくらいの悲劇を生んできたのもまた
宗教であるのは確かです。
とくに今のアメリカの政策は、
宗教問題が中核にあるのは周知のとおりなのです。
だからジョン・レノンの「イマジン」を替え歌にしつつ、
ドーキンスは本の冒頭で歌います。
「想像してごらん、『宗教』のない世界を」と。
そしてドーキンスは宗教、とりわけ子供時代における宗教的教育を
一種の危険な洗脳と考え、撤廃することを提唱します。
この強烈な主張にはぼくは賛成できませんが
(だって、考えてみてください。宗教と習慣の違いって
どこにあるのでしょうか。いまの文化のほとんどは宗教と不可分です)
ドーキンスの強いトーンからうかがい知れることは
「キリスト教国」としてのアメリカの実態でもあります。
ふだん意識されることは少ないかもしれませんが、
今のアメリカは良くも悪くも強烈なキリスト教国なのです。
イギリスに行くことが多いぼくですが、
女王を「国教会」の首長に置くイギリスでは
実はそんなにキリスト教色を感じることがなく、
世俗化がもっとも進んでいる国だとも感じます。
ドーキンスがここまで強く宗教を
敵に回さなければならないと感じるのは、
いまの世界情勢があってのことなのかもしれない。
さて、神の存在というふだんぼくたちが考えもしないようなことを
徹底的に、容赦なく論破していこうとするドーキンスの手腕は
直接本を読んでいただくとして、
ぼくがこの本からさらに考えたいな、
考えてほしいなと期待していることはこんなこと。
近代科学の方法論が立ち上がるためには
宇宙の果てまで同じ法則が通用するはずだという
「一神的信仰」が必要であり、だからこそ唯一の
「アブラハムの神」が支配的になった西洋社会でのみ、
近代科学が生まれた、という科学史観は正当なのか。
それほどまでに合理的には無茶な「宗教」が
いままで存続し21世紀にさらに力を増していることを、
ドーキンス的進化論ではどのように説明できるのか、ということ。
そしてそして
ドーキンス流「科学」の攻撃にさらされたときに、
いっそうあらわになるはずの「占い」の世界観の
特徴や特性の理解の深化、ということでもあります。
ドーキンス的世界観と占星術的世界観というふたつのパラダイムは
ぼくには共約することは不可能だと思いますが
(文化的遺伝子の進化論で占星術の生存理由を説明することは
できるかもしれないけれど)
それでもなお、科学のもつ冷厳かつエレガントで
美しい力に畏敬の念を感じ
そしてわが愛する占星術の特性を知るための鏡として
ドーキンスの本をぼくはみなさんにもぜひ薦めたいのです。
そして、ドーキンスをしてここまで過激にせしめた、
いまの社会を突き動かすデーモニッシュなダイナモとしての
宗教の力を今一度認識するためにも。