4月7日 フロイト先生の運命観
このところ、何かと「運命」について考えているのですが
なんだか急に思い立って、長い間、手にとっていなかった
フロイトの本をひっぱりだしたら、こんな記述に出会いました。
「制御されていない自然(これは運命と呼ばれる)が
損害を起こすことが問題となる」
「自分ばかりではなく、ほかのみんなをおびやかしている自然、
つまり、運命の圧倒的な力にたいしては
どのようにして身を守るのだろうか」
これは『幻想の未来』からの一節。
つまり、フロイトは自然は本来、
人間存在にたいして敵対的であり害を
なすものであり、それにたいして限りなく
矮小なものとしての自己イメージが
人にはあると考えています。
その自然の脅威から心理的に
防衛するための装置として宗教が存在する
と考えているのですね。
フロイトはそこから、まるで
推理小説のような、圧倒的な文章力で
心理的防衛機能と幼少時の
両親イメージを結びつけ、「父なる神」という
観念がいかにして生まれてきたかを
語っていきます。
「トーテムとタブー」という本に見られる
恐るべき推理はご存知かもしれませんね。
ユングはフロイトと違って人間の「内的自然」は
目的をもっていて、その働きは人を全体性に向かわせる
自律的な作用があると考えています。
このほうがずっと口当たりはいい。
もっともユングのなかにはある種の暗さというか、
重みがあるんですけれど、その正体については
もう少し考えなければならない。
(ニューエイジ的なすべての出来事に意味がある、という
ような言い方はユングのなかに
準備されているといっていいでしょう)
すべてに意味を見出そうとしたユングの志向性と
ほっておいたら何をするかわからない、カオテイックな
自然に対し、人は「禁止」によって文化を
作り上げてゆくのだとみるフロイト。
二人の運命観の違いが鮮やかに記されています。
しかし、フロイトはちゃんと読むと面白いですよね。
人々が夢中になったのもわかります。
ドイツ語で読んでいるわけではないけれど、本当に名文家。
やはりすごいですね。
















