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February 15, 2011

2月15日 星の巡礼  セオリーとピルグリム

「占い」についての学問的な研究論文は、多くありません。

いや、客観的に(つまりつきはなして)占いを語る論文は多くありますが、占いを占いとしての立ち位置を尊重しながら研究するということは非常に難しい。

占いという営み、その企て自体が近代の学問の方法論や思考法になじまない面が大きいからです。

わかりやすいところでいうと、学者として占いを研究しようとするときには、これまでは、ありていにいってしまえば「もちろん、私自身は信じていないのですが思想史的な問題として」だとか「その社会のなかでは信じられ機能しているのですから、それ自体を現象学的に」などと一歩、ひいてやらなければならない面がありました。

しかし、これでは靴の上からかゆい足をかいているようなもので、営みそのものを記述することはできないし、かといって、「こちらがわ」に埋没しては客観的な記述や理論化はできない。

人類学でいうエティックとエミックの難問、というやつです。

しかし、その間隙をぬって研究している人たちもいる。
たとえば、イギリスのパトリック・カリー博士などはその代表。

カリー博士が編集した論文集"Divination  Perspective for a New Millennium"にはその間隙を縫う論文が集められています。
ひとつひとつの論文の紹介はまたおくとして・・・

そのなかのバーバラ・テドロック氏の論文のなかで面白いことを知りました。
それは「セオリー」「ピルグリム」という言葉の語源です。

ひところ、売れ筋の本のタイトルや雑誌の企画などで「○○の法則」というのが流行したことがあります。(ぼくの本にもいくつかありますsweat01

こうすればいい、という方程式のようなものですね。

そういう法則を、迷っている人は捜し求めている。
英語では法則はセオリー。

この言葉、もともとはギリシャ語の「テオリア」からきていました。
普通は観想などと訳され、ラテン語にはオブゼヴァチオと訳されました。

つまりオブザーブ(観察)ね。つまりは観る、ということ。

しかし、テドロック氏によればこれはもともと、巡礼者をもさす言葉だったそうです。

聖なる物体に神の降臨とそこからの神託を得るということも、この言葉の意味の範疇に入ったというのです。

テオリアは、ただ見るということではなく、神的世界を垣間見るというニュアンスもあったはずなので、それこそが占い(Divination→Divine,神的なものによる占い)ともつながるわけです。

それは瞑想なども含めた、一種神秘的なものでもあり、内的体験です。
こうすれば必ずこうなる、というシンプルな方法ではありません。

同じ語源から来たシアター(劇場)などはそう考えるとまさに「観る」場所であり神々の降臨する場所でもあったといえるかもしれません。

そういえば映画館は真っ暗になり、映写機から投影される光がスクリーンに俳優という神々の姿を映し出すわけですから、一種のテオリアの場所ともいえるかもしれませんね。

かつてのオカルト主義者が洞窟などの暗闇の中に意図的に入っていって、そこで内なる光を観ようとしたことの再現なのかも、とアヤシイ連想も働きます。

一方で、いまでは、セオリーという言葉には「空理空論」というかんじのニュアンスもあり「理屈の上では」なんていうかんじでも使われますが、これは内的世界、神的世界と外的世界が完全に分離してしまった上に、「あちら」のリアリティが失われてしまった結果なのでしょう。

オブザベーションが客観的な観察になってしまったということもそれときっと関連していると思います。

で、ちょっと面白かったのは「ピルグリム」という言葉です。
ピルグリムはもちろん、「巡礼」ということです。

このブログを読んでくださっている方なら、きっとお読みになったであろう、ブラジルの作家パウロ・コエーリョ「星の巡礼」の英語版タイトルもThe Pilgrimageです。

そして、伝統的占星術の用語にもこの言葉の語源になる言葉がでてきます。
かなりマニアックになりますけど・・。

いけだ笑みさん「ホラリー占星術」(説話社)などをお読みになった方はピンとこられたでしょう。

そう、「ペリグリン」です。専門的になりますが、これは惑星が星座(サイン)との関係でどんな品位ももっていないことを指します。

この言葉を最初に覚えた時には、耳慣れない言葉でしたが、そうか、ピルグリムか、と思えば一発で記憶できます。
つまり、故郷から離れ、異邦人となって旅をすること。

伝統占星術ではペリグリンになった天体は弱いと一般にいわれていますが、この言葉で考えると不安定だけれど、自由な働きをするというイメージも湧いてきますね。
旅の途中。

フランス語ではper(通る)ager(土地)というニュアンスでこれは残っています。

何かの光を見出す(テオリア)するためには、旅に出ないといけないのかもしれません。
あるいは不安定になっている人、つまりペリグリンになっている人は旅の途中なのかもしれません。

とりとめもありませんが、今日はそんなことを連想していました。
キザなことをいうとすれば、そんなピルグリムをしている人が素敵だなあ、と。

人はすべからく巡礼者なのかも、と。

Posted by 鏡リュウジ  書籍・雑誌 |